唐突に猿の社会のプロフィール。
猿の社会について
今西錦司先生による個体識別した猿の観察は猿学の礎となったばかりでなく、猿を知ることが人間を知ることにも繋がるという知見をもたらしました。
猿も鼻歌を歌ったり子殺しをしてしまったりいろいろで、猿と人の違いを簡単かつ単純に述べることはできません。猿に限らず、大体すべての事柄は簡単に言い切ることができないと、人は学習していきます。
その事実と逆に、人は大抵知らないことに限って簡単に言い切ります。知らないことほど知ったような気になるからです。そして知り始めると知らないことが無限に広がることを知ってしまい簡単に言い切ることができなくなります。
でも言い切ることの魅力も代えがたい。また、ざっくり一括りにすることは知性的行為のひとつでもあります。なので時に、敢えて単純化したり言い切ることもスッキリするためには有効です。例えばこうです。
猿と人との違いについて語ることはできませんが、猿がトラックを運転していたり政治権力を持って日本を破壊しようとしていればそれはマズいので止めなければなりません。なぜ止めるのだ。猿と人の違いを述べる知見を持たないのではないのかと問われましても、そこはやはり止めた方がいいんではないですかと言いきりたいわけです。
死について
人の死をひとしきり体験すると死の概念にも理解が深まり、安直に人に死ねなどと思わなくなったりします。どんな悪人にだって人や猿として生きる価値がありますし、それを人為的に反故にして良いのは神さまだけです。神様というのはもちろん象徴的意味で使いました。
人の話によりますと、他人の死を体験しすぎると逆に麻痺して死が軽々しいものになるそうです。例えば常に町中でごろごろ人が死んでいることに慣れると容易く殺したりできるようになります。社会に死が満ちていると良くないとわかりますね。
それはともかく、人生において心の底から死ねと思うような悪人にも僅かですが出会います。死刑反対論者ですら死ねと思うなんてよほどのことです。その僅かの数人の生きる価値のない者のうち、自民党という政党の党首および重要関係者が何名もおります。歴代何名も占めております。
悪意の為政者がどんな犯罪者よりも悪徳であると考える理由は、ひとつには何十万人もの同胞を殺したからです。また、国土を汚し日本を貶めたからです。まるで民族派右翼のようなこんな物言いをしたくなるほど、あの連中がやらかした不可逆的破壊活動は許しがたい大罪と考えています。
この異常事態に対して社会的影響を及ぼす言説を宣うことは不可能ですが、黙ってるのも悪への加担です。昔は身の丈の啓蒙活動をやっていました。今でもやっていますが、ただ表現者として高次かつ難解になることを避けられず、つまり前提知識の強要や暗喩に次ぐ暗喩で訳がわからないことをやらかしています。これは良くない状態で、簡単に言えば立場主義に己が陥っているということに他なりません。そこで、ちょっとくらいいいんじゃないかということで…つづく
アカウント猿の社会について
つづき… 普段あまり言及しない個別具体的な身の丈の政治のお話や普段あまり行わない他人のさえずりへのコメントなどを行うために、匿名アカウントをひとつこしらえました。
とは言え、匿名アカウントの言葉に価値はないし、本来はちゃんと名乗ってしかるべきであります。ですのでここでこっそりですがこのアカウントについてご説明し名乗る次第です。
匿名アカウント猿の社会は以下のURLのような者です。それぞれご覧いただければ何者かは明白になります。
悪人と善人が同居しています。右翼と左翼も同居しています。あほとかしこも同居しています。なんと、誰でもみんなそうですよね。ということで、みんなと同じです。
商売の利益の為に悪に加担したこともあります。悪に加担したくないがために利益を失ったこともあります。どっちもあります。
つまり、人と猿の区別がつかないということです。