幻燈機について、以前どこかで書いた気がするんですが、どこだったかな。やんぐの衛生日記じゃなかったかなあ。 見あたらないからいいか。また書く。
なんとなく映画とはの続きであります。
自分にとっての映画の原体験は幻燈機です。
幻燈機ってのは、今でいうスライドプロジェクターみたいなもので、専用のフィルムをセットして襖に映し出す機械です。紙芝居投影機って感じです。
金持ちの家には8mm映写機なんてものがあったそうですが、うちでは幻燈機が全てのわくわくの元でございました。
幻燈機を映してもらうのは特別のイベントでして、機械を出してきて専用フィルムを缶から出し巻き付けてセット、襖を閉め、電灯を消して上映していただきます。電球の熱でフィルムが焦げますから操作は慎重かつ手早く行わなくてはなりません。
と、書いていて探してみたら当時の幻燈機と似たようなものの画像がありましたので勝手に拝借。
引っ張ってきた画像は
http://www2u.biglobe.ne.jp/~ya-ma-da/otakara/otakara00/otakara00-07/otakara00-07.htmさまのページからございます。どなた様かは存じませんがすみません。ありがとうございます。
ま、とにかくこういう玩具で、簡単な漫画を写してもらうことが特別の楽しみでした。
ほの暗い部屋の襖に映し出される映像と独特の焦げた匂いは、いつもの和室を違う世界に変貌させ、幻想的で少し怖く、この世の物とは思えませんでした。その魔力は幼い私の脳味噌を直撃し、一生忘れない映画原体験を植え付けたのでございます。
この原体験があったがために、後に映画が好きになったんだと思っています。
始めて劇場へ連れられて見た映画はキングコングが出てきた作品のような気がしますが公開年が合わないので自信がありません。二番館上映だったのかもしれないし「モスラ対ゴジラ」だったかもしれません。
薄暗い劇場は子供心にとてつもない広さで、銀幕の皺に当てられた二色の照明が幻想的。宇宙へ放り出されたような気分でした。
いよいよ幕が上がり照明が落とされ、ニュース映画か何かが流れ、興奮状態がピークに達し、ジャングルが映し出されるシーンで弾けました。
火が付いたように泣き出した幼児である私を、父親か母親がロビーに連れ出し、上映が終わるまでずっとそこにいたのです。なんだ結局ぜんぜん見てないじゃん。というのはおいといて。
泣いたのは怪獣が怖かったからではありません。極度の興奮状態に自分をコントロールすることが出来なくなったんです。
ロビーに漏れ聞こえる上映中の音。
今まさにどのような映像が映し出されているか、頭の中でもの凄い怖い怪獣を創り出し、それに怯えてまた泣いたりしてました。
話はちょっとズレますが、この「極度の期待感+でも実際はほとんど見ることができなかった+上映の音や気配をすぐ近くに感じている+映画を空想する」というのはトラウマとなり、自分にとってはその後の人生を左右した出来事だと思っています。
さて原体験の話を長々としたことには理由があります。
自分にとって映画とはなんぞや、です。
人によって違うと思うのです。ある人にとっては作品の内容、物語や演技かもしれないし綺麗な映像や動きかもしれません。他人との劇場での共有感かもしれません。
自分は以下です。
第一は投射映像であるという点です。
第二は暗い場所で見るという点です。
第三は画面や音が大きいという点です。
おごそかに照明を落とし、フィルムの濃淡によって遮られた光が美しい映像をスクリーンに大きく浮かび上がらせます。
私にとって大きな投射映像は魔力であり幻想世界への扉です。これが映画の魅力です。
この感覚は個人的な原体験の影響であると言い切れましょう。
ずっと映画が好きなのに、いい年のおっさんになるまで物語や役者にあまり重きを置いてこなかった理由もそこにあると、じつは割と最近思い当たったのであります。
暗い場所で大きなスクリーンに投影した映像。これを得るためには劇場で見るしかありませんでしたが、なんという贅沢な時代、今ではホームシアターなんぞといいまして、プロジェクターやDVDなどビデオ機器が家電として出回り、かつての幻燈機に近い感覚で映画を鑑賞できるという驚きの世の中です。
おかげで、家にいながら映画を楽しむことができるというバチが当たりそうな贅沢をさせていただくことができるようになりました。
ビデオが出回り始めたときも大興奮したものですが、それでもビデオは代替手段にすぎず、映画ではないと心のどこかで思っておりました。それは画質の問題ではなく、投射映像ではなかったからなんですね。
(この項まだ続くか)
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