JAMES CHANCE
James Chance and The Contortions
Soul Ecorcism Redux
James Chance and The Contortions
Molotov Cocktail Lounge
James Chance
Irresistable Impulse (Disk 1)
70年代後半?80年代のニューヨークのパンクシーンにおける鬼才中の鬼才。フリージャズの破壊性、ジェームス・ブラウンの肉体性をパンクとして昇華するという唯一無二の音楽を確立し、その後の音楽シーンに確固たる影響を与える。凶暴なサウンドの『確信犯』のごとく歌い、踊り、吹き、弾く縦横無尽なスタイルは今でも多くのミュージシャンに模倣され、受け継がれている。ノー・ウェイヴを象徴する存在として、いまだ君臨し続ける男。 ジェームス・チャンスは1953年4月20日、ウィスコンシン・ミルウォーキー生まれ。1975年、ジャズ・ミュージシャンを目指してNYに移住。MARS、The Cramps、Teenage Jesus and The Jerks(後にTeenage Jusus)と交流を深める。1977年ジェームスは自身のバンド=コントーションズを結成。結成時のメンバーは、James Nares(ギター)、Pat Place(スライド・ギター)、レック(ベース)、チコヒゲ(ドラム)、Adele Bertei(オルガン)というラインナップ。レックとチコヒゲが日本に帰国後George Scottがベーシスト、Don Christensenがドラマーとして加入する。 アート・リンゼイ擁するDNA、リディア・ランチ率いるTeenage Jesusらと共に参加したコンピレーションアルバム「NO NEW YORK」は、ブライアン・イーノのプロデュースのもと世界的な衝撃を与え、今尚、80年代音楽の金字塔のひとつとなっている。 コントーションズの結成メンバーとして日本人がふたり参加していたことは、後の日本の音楽シーンに重大な影響を与えることにもなる。レックとチコヒゲはニューヨークから帰国後フリクションを結成し、坂本龍一のプロデュースで衝撃的なデビューを飾った。 さらに、ジェームス・チャンスは音楽だけでなく、抜群のファッションセンス、ヒップなアートワークなど、ヴィジュアルな側面においても最もトンがった時代のヒーローだったといえる。ここ遠い日本においても町田康、菊地成孔、北村信彦(hysteric glamour)、向井秀徳(ex.ナンバーガール、ZAZEN BOYS)、椹木野衣、大竹伸朗、五木田智央など、その影響を受けたと公言する人は各界多岐に渡って多い。そんな彼らが今、日本の文化のど真ん中で活躍しているこの状況からも、ジェームス・チャンスがいかに伝説のカルトヒーローであるかが伺える。 近年ジェームスは、コントーションズのオリジナルメンバーを招集し、ヨーロッパツアーなど精力的に活動を開始。2005年はヴィンセント・ギャロがホストを務めたオール・トゥモロー・パーティにも招かれた。映画 DOWNTOWN81にて、その興奮のライブ映像がフューチャーされている。
(本文は
NOON Artists
より引用したものです)