始まりと終わり その5 最終回
チルドレンクーデターVer.Booと名乗る21世紀のチルドレンクーデターはBoo Nightというイベントをひっさげて音楽に留まらず多文化交流を図り、数々のゲストとも共演、有意義な日々を過ごしたのあるが何故かどういうわけかこの頃の録音分がぜんぜんないのである。
それはひとつには時代の為せる結果でもある。気軽なカセットテープがなくなり、かと言って音楽を本格的に操作できるほどのコンピュータ性能やストレージ容量もなく、何だか音源を残すことが面倒になっていた時代の隙間であるからだ。
もうひとつはVerBooのきっかけがそもそも遊びであるという油断、ついつい大人びた演奏になってしまう己の弱さなども気に入らない要素だったそうだ。
さらに大きな声で言えないような糞くだらないドメスティックな愛憎劇に巻き込まれたことなど複合的な原因もあり、結局は録音物もないまま解散することとなった。
そしてさらに社会的原因として、Ver.Booは日本の終わりを決定づけた小泉純一郎時代とシンクロしていたのだ。
2000年か2001年ごろには新自由主義のお化けが日本を覆い尽くしネットでは天然全体主義者のボケナスどもが暗躍、日本を売り渡し国民に痛みを与えその分を我々とアメリカがいただきますよと正直に宣言する小泉純一郎が頭の悪い庶民を虜にして不可逆的に日本を破壊した。破壊した直接の犯人は小泉純一郎ではなく脳の腐った有権者である。
最終的には郵政選挙という嘔吐のような選挙が行われ、それですべてに対してやる気をなくしたバンマスであった。かつては絶望に打ちのめされたとき「欲情する機械」で反抗したがすでにその気もないらしくもうどうなってもお前らのせいだと吐き捨てた。
とかなんとかそんな感じで解散、この連載もそのあたりで終わりである。
この「始まりと終わり」というコーナーは解散までを書き記しておこうと始めた連載で、このあたりまでを書いてお仕舞いという当初の構想であった。
今回は最終回ということで、この解散の話ですべて終わり…と思いきや、まだ続きがある。
バンマスは根がアホでお調子者なのでまたチルドレンクーデターを再開するのである。
まるで禁煙を毎日試みるおじさんのように解散を繰り返すチルドレンクーデターだが、ある日バンマスがなぜか「ビデオドローム」を思い出し、ついでにデボラ・ハリーからブロンディを思い出し、便利になったネットでブロンディを眺めていて彼らもまた解散を繰り返していたということを知った。
しかも普通に解散したあと復帰宣言をするでもなくしれ〜っと復活するということを繰り返していたらしい。解散詐欺である。なーんだ。ブロンディもそうなんだったら、辺境の糞バンドが解散復帰を繰り返してもぜんぜん何の問題ないわ、とバンマスは大いに力づけられた。
ブロンディに力づけられたバンマスはVer.Boo解散後、舌の根も乾かぬうちにライブ出演の依頼に「OK」と返事するのであった。
OKはいいけどメンバーがいない。そこでVer.Booのメンバーに加えて、東京での公演だから久しぶりに磯田収に連絡してみようと恐る恐る連絡。
「お久しぶり」
「ひさしぶりやな」
「チルドレンクーデター名義でライブあるけど出へん?」
「出る」即決であった。
よく考えたらとてつもなく久しぶりの再会だがこのライブが上手くいった。オリジナルメンバーが揃ってきたのでチルドレンクーデター名義も嘘にならず、何の気負いもないからのびのびと好きなように演奏できて楽しかったものだから「もうちょっとやろか」「もうちょっとやろか」とだらだら活動再開ということになった。
そんなこんなの数年後、これまたなつかしい勝野タカシから突如連絡があり「ちょっと同窓会みたいにいっしょにやらへん?」と誘われたので「やるやる」と即決。同窓会ならいっそKちゃんに連絡してみようかということになり連絡、肝っ玉母さんみたいになっているかつての女王K子さまが一夜限りのチルドレンクーデター同窓会に出演することになった。
これがやってみたら楽しくて、中でもK子さんが楽しそうで、それで一夜限りのはずがまたずるずると「次の話あるけど出る?」「出る出る」みたいに続けることになって、まさかの5年6年7年と、年寄りたちにふさわしい時間感覚で延命が続くことになったのである。
若い頃は半年で世界が変わるが年を取ると10年前を「この前」と言ってしまうのである。
さて、ブロンディに力づけられたのは気違いのバンマスホソイだけでなくこの連載の筆者もそうだ。
ブロンディとチルドレンクーデターが解散復帰を繰り返すのならば、連載最終回と復帰を繰り返しても問題ないはずだ。
つづく
最終回ですが完全につづくとはこれ如何に。でも問題ありません。だってEP-4復活しましたよ。
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