夭逝の傍証

第三章 病院の章

やがて救急車が病院に到着し、私は医者に診断された。まだ先ほどの綺麗な景色が残像として残っており、目の前の医者を見ても生気が感じられない。あの純粋な景観に比べれば、病院の建物も医者も看護婦も嘘臭い存在だ。
「もうこの人は駄目ですね。内臓がぼろぼろです」
医者は私にではなく、誰か別人に語りかけている。「使い物になりませんね」
「心臓も駄目ですか」誰か別人が言った。
「駄目ですね。もうとっくに止まっているし、壊死が始まっています」
「あの」私が口を挟んだ「使えるか使えないかを判断するということは、あなた方は個人の生を商品と見なしているわけではないのですか」
医者はそれには答えず、看護婦に何かを命じて診察室から出ていってしまった。謎の別人もそれについて出ていく。私は数名の看護婦によってベッドごとどこかへ運ばれた。運ばれた部屋にはもうひとつベッドがあり、機械に繋がれた死体が横たわっていた。私は上半身を起こして死体を見た。死体は首を切り裂かれ、傷口から管が通されていた。体は血色があって生き物のようだが首から上は土色に変色していた。
「まるで死体みたいに見えるでしょう」私に気づいて死体が喋った。「でも死体じゃありません。だって体は生きているんですから」
「では、あなたが有名な」私は息をのんだ「脳死・・・」
死体は恥ずかしそうに「そのようです」と答えた。「お恥ずかしい」
「死んでいるわけではないのですね」私は死体をしげしげと眺めながら言った。
「さあ。どうでしょうか。でも過去においては間違いなく生きています」死体が冗談のごとく答えた。私は反論した。「しかし過去には行けません」
「行けないからといって、ないわけではないでしょ」けらけら笑った。「あなたは月へ行けますか?」
今なら行けるかも知れない、と答えようとしたとき、荒々しく部屋の扉が開いた。
数名の男が現れ、死体を取り囲んだ。
「おい。なにをするんだよ」男たちに体中をさわられ、死体はもだえた。「待てったら。気持ち悪い連中だな」
私は起きあがり男たちを制止しようとした。だが腰に力が入らずその場に崩れ落ちた。ベッド脇に寝そべった格好で見上げると、男たちが手に刃物を持っているのが確認できた。
「切るのかよ。おれを切るのかよ」死体が精一杯おどけた調子で叫んだ。「恥ずかしいじゃんかよ。やめろって」
耳を貸さず刃物を持った男たちは死体の腹を切った。「いてててて。よく切れるのはわかったから。もうよしてくれよ。」だが容赦なかった。肉を切るかすかな音と、刃物同志が当たるかちゃかちゃという音が部屋に反響した。
「おえ。おれ吐き気がしてきたよ。もう、それ以上は」死体がか細く言った。
男たちは執拗に切り続けた。肉の音が聞こえた。「おえ」と死体がえづく声が聞こえる。やがて男たちは手に手に内臓を持って、嬉々として部屋を出て行ってしまった。私はベッドに手を添えて何とか起きあがり、ぼろ布と化した死体を見つめた。彼にはもう表面というものがなく、赤黒い裏側がべろりとめくれ上がった抜け殻でしかなかった。吐瀉物と血液にまみれたその死体は本当の死体になっていた。
「だいじょうぶかい」声をかけたがもう返事はなかった。
では存在とは表面のことなのだろうか。