その1
ずっと前ですが、深酒と深薬と深哲などで不眠が続いているとき、起きながら寝るという特技を身に付けてました。起きてはいるのですが寝ているのです。
で、そんな状態である日、ぽくぽくと道を歩いていたら三条通りの踏切の向こう側に一つ目の巨人がいるんですよ。その時は夢見がちですから「ふうん。巨人かあ」と思ってそれを見ながら歩いてました。夢が現実世界に進出してきているんですね。
後になって思い返すと面白くなってきたんで、友達に「三条通りの踏切の向こうに巨人が見えた」と、言いかけた時、三条通りに踏切なんかないことを思い出しました。
その2
同じようなことがもっと前にもあったなあ。
五歳まで住んでいた新町五条上ルというところですが、ここは烏丸にも堀川にも五条通りにも近い大通りに挟まれた辺境の下町というかそんなところでした。
隣の家はガレージを経営していて、全く危なっかしいことにそこが遊び場だったんですが、今でも目に浮かぶのはそのガレージのブロック塀の後ろを汽笛を鳴らしながら走る蒸気機関車の姿です。もちろん、実際には機関車など通りません。多分、夢で見た景色だと思うんですがそこから引っ越した後、長い間それが夢の記憶だとは全く気付きませんでした。
その3
「えー。私が京都府知事になった暁にはですね、まず南インターを中心とする前後数キロの国道一号線を廃止します。そんでもって、その土地に支柱を立て、一号線と平行に高架のバイパスを作ります。だいたいあの辺りの国道はただ渋滞しているだけの通過道路であり全く無意味な地帯ですから、潰してしまってもいいのであります。それからあのスラムの集合住宅みたいに見える京都の駅ビルを破壊します。破壊に必要な費用のうち5パーセントは私の懐に入りますから私にとっても観光の町京都にとってもメリットがあります。それからガキがうろついて目障りな河原町界隈はスラムにしてガキを隔離します。そのかわり「千本ラブ」を都会にします。六曜社とイノダ本店は千本ラブに誘致します。また、京都書院とdee-BeesとコニーアイランドとむいとZABOを復活させます。さらに、JRを国有化します」
その4
選挙の宣伝カーの合間を縫って新しい家を見に行ってきました。京都らしい作りの古い屋敷です。小さな入口から入ったところが土間になっていて、奥はずっと奥まで続いています。こういうのを「鰻の寝床」というんですが、昔、通りに面した部分の大きさで税金が決まっていたころの工夫らしいです。
ヨーロッパでも窓を作ってはいけないという法律があったときに、外壁に窓のだまし絵を描くのが流行したらしいですがそれと同じですね。
ということは、今なら圧制によってどんな文化が生まれるのでしょうか。
とにかく選挙に行くときは体育館の片隅に立っているかも知れない幽霊に気をつけたほうがいいでしょう。
その5
いや、あれの事をずっと学生の幽霊だと思っていましたが、よく考えたらそうとも限らないですね。落ち武者かも知れない。だって髪が長かったから。
そもそも音楽というのは、トランス状態に入るために聞くのが本当の聞き方です。音楽は全てダンスであるというのは近藤俊則さんの名言ですが、「フリーインプロヴィゼーションで体を揺するだけというのももちろんダンスです」というのはダンスとトランス状態はここでは同じ意味なんですね。
とにかく、演奏もしかりで、毎夜毎夜何時間もぶっ続けでフリーの演奏をやっているとこの世とあの世の境目がどんどん希薄になってきます。その日も、友人とふたりで、ドラムとピアノのDuoをやってました。場所はもちろん京大西部講堂です。熱心に聞いていた若者がひとりいたんですが、いや、彼のことは私たちはずっと意識していました。彼が聴いていたから演奏をやめなかったんです。まあ、彼がどこからどうやって入ってきたのか、また、出ていったのかは全くわかりませんけれども、その日の明け方、そろそろ寝に帰ろうと演奏をやめ、その時間唯一の出入り口である楽屋の扉のかんぬきを外そうとしたときに初めて、彼が実在しなかったことを知りました。
その6
鬼を見た人がいるんですよ。
古いアパートに住んでいる人なんですが、廊下の外でガタンと音がしたから、何だろうと思って入り口を開けて見てみると、小鬼が廊下の向こうからすごい勢いで走ってきてそのまま走り去ったんですって。反対側の突き当たりには窓があり、ひょいとそこから出ていったということです。
どうせ白日夢を見るならこのくらいのものは見ないとね。白日夢だろうと何だろうと見たことには違いないんですからこれは現実でしょう。
その7
幽霊話はあまり信じないほうですが、妖怪はいるような気がしますね。
前に鞍馬に行ったときも天狗や物の怪の気配が充満してて、実際、何かが肩に乗ってくるんです。突然、どす、と重量がかかってきたときは天狗に飛び乗られたと思いました。実はその時、一緒にいた妻も重量を感じて、その後は「おぶって歩いていた」ということでした。
その8
そのラジオドキュメントは一通の投書から始まったらしいです。
「原爆投下の直後、ラジオ局から美しい女性の声が聞こえた。何かに呼びかけたような放送内容だったと思う。この世のものとは思えないほどの美しい声で、あのような奇麗な声を聞いたことがない。あの声のアナウンサーはお元気なのですか、もし生きているならもう一度声をききたい」確か、こんな内容の投稿で、呼びかけは「こちらは広島放送局、応答して下さい」という切羽詰まった内容だったとか。その声は延々と繰り返されていたらしいです。
番組ではこの投書を元に調査を開始、原爆投下当時、放送局にいたとされるアナウンサーを調べましたが、当時女性のアナウンサーは確認できず、そのような放送を流した記録もないということで、投書した人の幻聴ではないかという疑問も出てくるんです。
番組を聞いていて「この世のものとは思えない美しい声」というのが何となく幻聴っぽいと私には思われました。環境や精神状態が異常な状態であったろうからです。
生きているのか死んでいるのかさえ自分では判断できない状況で天使の声を聞く投稿者のイメージが頭に浮かびました。
ところがこのラジオドキュメンタリー番組は意外な結末へ進みました。
放送は確かに行われたというのです。そしてその声を発した人間は生存していました。「確かに自分が呼びかけの放送を行った」という人物です。
天使の声で「こちらは広島放送局。応答して下さい」と叫び続けた人は男でした。
彼はほとんど本能で職務を遂行しました。原爆を投下された街の放送局でひたすら応答を呼びかける声を発し続けたということです。その声は上擦り、聞いた人が「この世のものとは思えない美しい女性の声」と感じるような声になっていたわけです。
このドキュメンタリー番組を聞いたのは私がかなり若い頃です。私は非常にショックを受けました。恐怖も感じたし、悲哀も感じました。現実のものとして原爆を認識した初めての体験でした。
現在は多分、天使の声を出した放送局の方も、その声を聞いて感動した投稿者もこの世の人ではなくなっている可能性が高いですね。少年の私に、わざわざカセットテープに録音したこの番組を聞かせた父親もすでに他界していますし、番組の記憶も私の中で曖昧になってきています。過去は毎日量産されていきますし歴史はフィクションへと変貌していきます。もし誰かが「原爆はなかった。もしあったとしても小さな被害だった」と言いだしたとして、それに反論することは可能でしょうか。
で、ふと思うのは、あのラジオドキュメンタリー番組、本当に放送されたものだったのだろうか。
その9
夏になると部屋の中にボンボンベッドを並べて、兄弟と、ついでに父親がだらーりと寝そべりました。寝そべりながら「四谷怪談」や「八墓村」や「吸血鬼」といった怖いテレビ映画を見るんですが、これが恐ろしかった。
大体怖くなると背中が怖くなります。人のいない方向に背中を向けて寝るのが怖いので必ず真中のボンボンベッドに入り込んでいました。
怖さを和らげるのはいつも聞いていたクラシックの小品集でした。「口笛吹きと子犬」や「トルコ行進曲」「クシコスポスト」や「ユーモレスク」といった1年生か2年生で習う曲です。怖いテレビ映画を見た後はこれらのレコードを聴きながら安らかに眠ったものです。しかし副作用がありました。心和らげるために聞いていたクラシック音楽ですが、逆にクラシック音楽を聴くと怖くなるという条件反射を植え付けられてしまったのです。
3年生になったある日、クラシック音楽を鑑賞するという間抜けな音楽の授業があって、先生がこう言いました。「みなさん、目をつぶって聴きなさい」
目をつぶって聴いているとじわじわと恐怖がやって来ました。暗やみに丸めた新聞紙が二つあらわれて蠢いた後、音楽室にかかっている音楽家の肖像画の中にお岩さんが混ざっている光景が目に浮かびました。そのあと、ガタン、と戸が開いて欠席している西村君〔仮名)が入ってきます。顔が真っ青です。「西村君、どうした」と先生が駆け寄ると、西村君は突然嘔吐を始めました。吐いても吐いても嘔吐が止まらず、そのうち吐瀉物の中に突っ伏してそのまま死んでしまいました。
その空想のあまりの恐ろしさにそれ以上目を閉じていることが出来ませんでした。
その10
よちよち歩きの弟を囲んで団欒をしていたときの話です。
「ぶー」とか言いながら部屋を歩き回る赤ちゃん弟は皆に注目されて調子に乗っていました。手に持っていた竹製の30センチ物差しを口にくわえて、はたはたよちよちと歩きだしたので「危ないっ」と手を出す間も無く、前のめりに倒れこみました。物差しは上あごに食い込み、転んだ反動で仰向けになった弟の口から突き出していました。幸い、突き刺さった物差しが脳に届くということはなく、上顎を少しえぐっただけでしたが、たいそう出血し、「これで弟は死ぬ」と思いました。もちろん死んだりはしませんでしたが、人の生死は外見では判断出来ませんから本当のところはどうだかわかりません。