マニフェストとは何かというと、政権を担うに当たって当期にに何をするかという国民との約束、契約だ。
いわゆる政権公約よりも契約色が強い言葉で、工事で言えば工程表なわけだな。
もちろんキャッチコピーなんかであってはならない。
そういうわけでまず、これは政権担当する政党が出すもので、政権を絶対に担わない政党が出すものじゃない。だって政権を得た上で何をするかという契約なんだから、議席数10とかで何かが出来るわけない。それでもマニフェストとやらを出してる弱小政党があるが、あれはアホである。
というわけで自民党のマニフェスト、馬鹿そうなキャッチコピーと共に出してきたみたいだが、今はこれは放っておいてよろしい。国民が見なきゃならないのは、前回のマニフェストだ。
前回の契約をどれだけ守ったかがとりあえずの最重要課題である。
もしあなたが工務店に工事をお願いして、金も払ったのに、見積もりに書いてある項目が全く工事されていなかったらどうか。次もその工務店に仕事を発注するか。するわけないのである。
前回のマニフェストで自民党が約束した多数の項目を見ていくと・・・・
「強力な推進」「改革を実施」「効率化を実施」「構築」「強化」「育成と支援」「本格化」「努力」「再挑戦」と、ふわふわした中身のないキャッチコピーの連続で脱糞もののお笑いマニフェストであった。
さらに読み進めると、財政収支の回復(回復していない)、独立行政法人の廃止・縮小・重点化(ぜんぜんしていない)、雇用対策を進め問題を解決(悪化)、フリーター・ニート対策(増やす対策はしたけど)、幼児教育の無償化(あれ?新しいのにも書いてないか?)、少子化対策(少子化政策の間違いでしょう)、というように、少し具体的かなという記述に関してはことごとく何もやっていないということがわかる。
実現させたことは、個人負担を増やします、医療を改悪します、郵政民営化です、福祉を減らします、とか、そっち系の事ばかり。
工務店で例えると、見積もりにこう書いてあるのと同じだ。
外壁工事-よりよくする努力をします 1式 1000000円
内装工事-綺麗になるよう邁進します 1式 1000000円
設備工事-必要です 1式 1000000円
仕上げ工事-美しく仕上げる取り組み 1式 1000000円
電気工事-シャンデリア、各種照明 1式 1000000円(ただし取付けされなかった)
この見積もりをみて先払いで5百万払った。
結果はなにも工事をしていない。
「いや。そこに書いてあるとおり、たしかに努力したし取り組んだ」と言われ、あなたは落ち込む。
「しかし電気機器もついてないじゃないか。これはいくら何でも酷すぎる」
「確かに電気機器は付きませんでした。しかし、他の8割りはうまくやった。そうそう、今年の、こっちの新しい見積もりに同じ項目を入れときましたんで。これで一つ今年も契約を」
それで今年も契約をしたい、と申し出ているのが、自民党支持者、各種御用メディア、御用評論家、テレビとネットB層の洗脳患者たちだ。
前回のこのぼんくらマニフェストを見てわかるとおり、前回自公に投票したこと自体が知性0の国民的自殺行動であった。国民と政治家のオツムの具合なんて同じ程度のものにしかならない。
そういうわけで、この工務店の新しい見積もりは基本的にもう見る価値がない。
いちおう新しい見積もりというか工程表というかマニなんとかだが、もう、どうでもいいわな。ざっと斜め読みしても、具体性に欠けたキャッチコピーで埋め尽くされており、時々見受けられる具体的な政策ももう見るだけ無駄な適当文章だ。
要約版なんかはもはや悪徳工務店のチラシとどこが違うのか見分けが付かない。
巷で話題の「今後4年間の政策工程なのに、10年後とか言ってるよこの馬鹿」とかそういうまともな反論は最早不能。まともな突っ込みをし出すと、小説本編より長い文芸評論みたいになってしまうし、そこまでやる価値がこの原典にはないのでここはやはり放置して無視しても何ら問題なしと思えるのであった。
追記
とは言え、ちゃんと突っ込んでいる丁寧な人の仕事っぷりにはきちんと敬意を表します。文句たれる前に、脳タリンマニフェストの原典と、こういうまともな論評にも目を通しておかなければね。
財源だけでなく具体策もない自民マニフェスト
あとこんなのとか
民主党マニフェストに“ダメ出し”するのがメディアの仕事か?
分析しようとして挫折した人
自民と民主のマニフェストを比較しようとして挫折