情報を得ること

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大災害を知ったのは5時間後だった。こういうとき、社会から孤立して一人で仕事をしていると世間の情報が全然ないので気づくわけがない。仕事を一区切りつけてTwitterを覗くとすでに大騒ぎ、多くの情報を一気に得た。
以前ならこんなときは即テレビだ。しかしうちには映るテレビはない。ラジオは車にしかついていない。でもインターネットが繋がっているので何とか進行中の災害について知ることが出来た。特にTwitterと、それから最近出来たUstreamの威力、これはすごかった。UstreamにはNHKのテレビ放送がそのまま流されていたので、これはテレビがあるのと同じ状態。あらためて、テレビというものがどういう局面で必要なのかよくわかる。普段はいらないがこういうときは必須なのである。ただし速報以外、そこから得られる情報がほんの一部であること、歪曲されたり隠蔽された結果であることなどに留意せねばならない。
ネット上では有意義な情報のほか、邪魔なノイズも散乱していて始末が悪いことも多い。ある意味被災していない多くの人間もパニックに陥っている。日本史が切り替わるほどの大災害に直面して誰もが混乱しているのは間違いない。
被災地がどのようなことになっているのか誰にもわからない。不安や楽観が入り交じり、デマや偽情報、善意からくる悪意、ファシズムの芽も目立つ。
今回完全に無事な関西圏としては、被災民の受け入れを早急に準備すべきであると思っていたら、これが早急に準備している模様。大阪、京都、神戸、すべての自治体が被災民の受け入れ準備を進めていることを発表している。これはよくやったと思う。
交通手段まで含めた援助ができればと願う。
速報が一段落すると、徐々にテレビの情報が害悪になってくるのでそろそろ必要なくなってきている。
死者の数を数えたり、いち早く災害を振り返ったり、被害者の傷をほじくり出したり、援助の邪魔をしたり、原発被害を過小評価したり電力会社や政府の嘘を検証せずに垂れ流したりする害悪だ。
速報性や広く広報することに関してテレビは目的を果たすが、ジャーナリズムとしてはかなり劣等なのでここはきちんと区別をしたいところ。
日赤からもすでに現地に人が出向いている。話を聞くとそれはそれはいろいろ大変そうで、何人くらいの人が何人くらいの人の面倒を見るとか、頭が下がる思いだ。身近な例ですらそれなのだから、現地の状況は想像するだけで・・いや、実際のところ想像が追いつかない。
実は天皇さんの言葉に大いに感心した。わしは今の天皇が好きだ。前の天皇の時は闇雲に攻撃していたが、崩御の時に力が抜けた。力が抜けたことを自覚して「なんだ、おれ、天皇好きだったんじゃねえか」と気づいたのである。まあちょっと意味が違うが。
天皇陛下は原発事故にも「強く案じ」と触れた。この人はよくわかっている。短い言葉の中に強いメッセージを込めていることを聞き逃してはならない。「事態のさらなる悪化が回避されることを切に願っている」ことを、もし愛国者なら心して聞け。お前らだ>電力会社、保安員、御用学者、御用マスコミ (こいつらが愛国者のわけがないが)
それから被災者を案じ、救援する人々をねぎらい、次のような言葉。「これからも皆が相携え、いたわり合って、この不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています」
相携えいたわり合ってとはよくぞ素晴らしい言葉を選んでくれたものだ。誰かもツイートしてたけど、決して「国民一丸となって祖国のために頑張れ」などとは言わないのだ。ここ非常に大事。込められた意図と言葉の選び方に心が動いた。

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