風評の原因は一にも二にも情報が足りないことだ。情報不足は憶測を生み、風評を広げ、デマを誘発させる。だから現時点でデマが横行するのは仕方がない。これを防ぐには東電なり政府なり研究機関なりが正しい情報を出すしかない。
しかしなかなかそれが出てこないのでデマが生まれる。
デマの首を取り非国民非国民と騒ぐ首狩り族のような全体主義がネットに蔓延してきており、気持ち悪いことになっている。
耳障りのよい安心安全デマは無条件に信じ込み、危険を煽るデマはよってたかって糾弾する。それはまるでゾンビ映画のクライマックスのようなおぞましい姿である。
デマにもいろいろあって、東電や関連機関が発するデマはこれはタチが悪い。合い言葉は「安全安心レントゲンCT飛行機」「ただちに危険ではない」だ。まあこういう連中が何十年も繰り返してきたいつもの戯言を恥ずかしげもなくまだやっているのだが、これでお墨付きを得たように「なんだ安心じゃん。不安を煽ってる奴は非国民だな」と短絡的に信じ込むのはパニック症候群の一種ではないかと思える。人が宗教にハマるときと同じで、特殊な状況に対応しきれないための心理的防衛が働いているからではないかと。その心理状況を作り出しているひとつに計画停電なるものがあるのは間違いなさそうだ。不安と重圧感は並大抵ではないだろう。直接の被災者でないならなおさら別の複合観念も生じる。自分もそういう環境にいれば正しい判断など消し飛んでしまう弱さを持っていると自信を持って言えるのである。
逆に危険を煽りまくる有害なデマも多く発生している。夕刊紙や週刊誌のタイトルでお馴染みの、大袈裟で紛らわしいデマだ。放射能の恐怖を事実以上に誇張したり、理屈にあっていなくても核爆発などという言葉を乱発して大騒ぎする愉快犯的な方向だ。
これに騙される人は普段からテレビや週刊誌に騙されるタイプの人で、実は噂にはなっているが実際にそういう人を見かけることはない。多分そういうのに騙される人たちと自分の生活圏が違いすぎていて接する機会がないからだと思う。聞くところによると現実には沢山いるそうである。騙されてお気の毒、とは思うが、今までもずっとそうだったろうから今更だな。
この両極端のデマを挟んで、Twitter上などでは有志が発するデマというか間違った情報というか、そういうのが大量に発生している。
安全デマの系統では以下のような話。
「広島・長崎も不毛の土地になると言われていたがすぐに復興した。だから今回も同じだ。大したことない」
「大した量は漏れていない。自然界と同じくらいだ」
「レントゲンCT飛行機」
「放射能より煙草のほうが危険」
逆のデマの系統では以下のような話かな。
「東京はすでに危険だ。全員即刻死ぬ」
「この地震はユダヤ人による地震兵器の発動だ」
「停電は海ほたるにあるレーザー起爆装置を作動させるためだ」
それ以外に昔ながらの差別を含んだデマも横行しているらしい。直接見聞きしたことがないが、現地ではこうだ、こんなことがあった、こんな人がこんなことを言った、などのデマは相変わらず発生しているらしい。
まあお盛んなことであるが、多くはは知識の欠落によるものにすぎない。
しかし夕刊紙やテレビ雑誌にこれまで散々溺れている現代人なら、今更この手の有志によるデマに踊らされることもあるまい。こういうことを言っている多くがただの匿名のネット番長たちだ。
見ていて気分は悪いが無視するのが得策なのである。
ただ状況が状況なので、誰もが上手く無視出来ず、デマを元にしたネット世論というか空気というか、そういう物が全体主義的に広がってきているのも確かだ。
具合の悪い発言には「非国民」と言わんばかりの集団ヒステリー状態が垣間見れる。
これが実に不気味なのである。
正直言って、より悪質なのは安全デマだ。なぜかというと、デマがデマであったときのダメージが比較にならないほど大きいからだ。
アスベストやミドリ十字、古くはチッソやヒ素ミルク、さらには大本営発表の戦争に勝ってるデマのことを思い出してもいい。「安全安心問題ない」をアホ面で信じた結果どのようなことになったか誰もが知っていることだ。
知識の欠落以外に、思想的なバイアスがかかるのも大きい。例えば私はもともと原発には反対で電力会社も政府も基本的に信用していない。しかも民主主義者である。基本偏っているのだ。
逆の人、つまり原発推進で電力会社や政府を信頼していて資本主義的原理主義者の人種というのも多く存在する。というかこっちのほうが多いかも。
同じ事を同じように発言しても、その文脈は大きく異なり、受け手に全然違うイメージを植え付ける。
異なるイメージを受けた側が、感化されてあやふやな二次三次情報をさらに拡散させてしまうということも多くおこるだろう。
そういえば最近話題のふたつの動画があって面白い。
ひとつは広瀬隆のテレビ出演、もうひとつは大前研一の講演のビデオだ。
実はこの二つを見比べると、大事な技術的な点において同じようなことを言っているのが判る。
で、全然違うことを言っている箇所もある。目立つのはそっちの方向かもしれない。方やちょっとオカルト入ってるんじゃないと揶揄されそうな、方や庶民殺しの新自由主義者めと揶揄されそうな面をそれぞれ持つ。
だが些細な点だ。
その些細な点を大きく膨らませ、大事な点を聞き逃すとこれはタチが悪い。
デマの広がりも、そういう些細な点が出発点になるのかもしれない。
追記。
ここまで来て安全デマの拡散がTwitter上などで見られ、ブラック・ジョークが現実になりつつある。
即ち、危険は大したことない、放射能は煙草や交通事故と同じ、汚染の基準値を引き上げればOK、テレビを信じる、東電を信じる、海外メディアは全て大嘘つきだから日本の報道だけ信じる、危険性を言うやつは全て非国民、誰でも癌になるから癌になるからと言ってどうって事ない、などという悪い冗談の蔓延である。
大本営報道と戦時中の庶民の狂乱を生で目撃する羽目になるとはさすがに思わなかったのでこれには驚いた。事実を示されたら「風評」「大袈裟」と拒否するのである。気に入らない情報を遮断し、耳障りのいい言葉だけを信じる様は哀れですらある。
恐怖と不安が判断力を失わせ、ファシズムの芽を育てるその課程を目の当たりにしていることを感じ、薄ら寒い。