1 そこへ引っ越して来た
街に近いというのに、物凄く家賃の安いアパートでした。
流し台だけが設置された、窓のない部屋です。
窓はないが天井に半透明のアクリル版が貼ってあり、何となく光が入って来ます。
四畳半に半間分のでっぱりのある不定形の部屋で、そのでっぱり部分が公衆便所のように思えてなりませんでした。酔っ払った時にそこで小便をしたような記憶もあるようでないようであるようでよくわかりませんが、小便をしている人の後ろ姿は何度も見かけました。
隣に住んでいる老夫婦は変な夫婦でした。時々、陰毛の剃りっこをしていました。
そのまたとなりは、入り口が封印してありました。家主のおばはんは、「この部屋はね、もう壁も塗り替えたし、畳も入れ替えたから奇麗なんよ」と言っていましたが、それは怪しすぎるというものではないですか。とにかく、板でもって、ばってん、と打ち付けてあるものですから妄想が膨らみまくったものです。
家賃を払いに家主のおばはんの部屋へ行った時、おばはんが妖怪になりました。はじめは機嫌良く世間話をしていたのですが、離婚した時の話をしはじめると、小学校1年生くらいの息子に、突如暴力をふるい出したのです。「この、このぼけなすっ。こんな目、しやがって。この」
「あわわわ。ちょ、ちょ、ちょっと待って下さい。すいませんすいません」なぜか私があやまりながら息子をかばったのですが、どうやら、家主のおばはんは「線の切れやすい人」らしいのです。
これはハマるかもしれないとその時思いました。
案の定ハマりました。
部屋の片隅で小便をしている男や、天井近くに集団でたむろしている恐い連中に囲まれて生活するようになってしまったのです。所謂幽霊共との同棲というやつ。天井近くにいる連中ときたら、人が眠ろうとすると、「おいこら」とか「なんか歌え、このタコ」などと口々に私を罵り、寝かせてくれません。無視すると嘔吐攻撃を仕掛けて来るのです。私は寝ては吐き、吐いては小便を垂れるという阿呆のような毎日を送りました。
2 ノックの音など
つり下げられた電球を赤く塗ると、部屋全体がぼんやり赤くなりました。天井の半透明のアクリル版にも赤が反射してなかなかご機嫌です。途中で貼るのを辞めたらしい中途半端な壁紙を引っぺがすと、その下は黄色と水色の縦縞がへたくそに塗ってありました。私はこの部屋が気に入ってしまいました。これで、お化けさえいなければかなり満足です。だから何日もずっと部屋から動かないということもよくありました。動けなかったのかもしれませんが。
銭湯がすぐとなりにあったにもかかわらず、私は裸で流し台の上に乗り、風呂として使っていました。茶碗を持っていなかったからです。そんな時に限って人が尋ねて来るもので、ごんごん、とノックの音がしました。
私はノックの音が好きでした。その音は、大抵食べ物か、お花畑がやってくるという知らせでした。多くの場合はお花畑が食べ物を持ってやってくるのです。
ノックの後は少し静かになりました。私が戸を開けるのを待っているのでしょうか。外にいる人はノックを止め、戸板をこすり始めました。薄い合板でできているのでがさー、がさーと振動までも聞こえて来ます。これは、お花畑でも食べ物でもなく、ただの野郎の友人だとわかりました。きっとふざけているのです。野郎。びびらせようったってそうはいかねえ。私は嬉しくなり、流し台の上にしゃがんだ姿勢のまま手をのばし戸を押し開けました。
誰もいません。
「あほじゃねえの」「だまされやがっただまされやがった」「恐がってやがる」
天井近くにたむろしている恐い連中が騒ぎ出します。私は恐怖心に襲われてしまいました。あわてて戸を閉め、身を縮めます。
3 そんな時は大抵腹が減っている
そんな時は、腹が減っているせいかもしれないと思い、かっぱえびせんの残りを食ってみたりするわけですが、いつのまにか目の前いっぱいにお花畑が現れています。お花畑にいて欲しいという気持ちの具現化でしょうか。
「なんで、そんなものを食べるの?」お花畑が怒ったように言います。「栄養をとった方がいいのに」また栄養の話か。
「やかましい」私は怒鳴りました。「栄養などとふやけた言葉を使うなこのばか。いいか。この、かっぱえびせんというのはな、一袋80円でこれ、このとおり何十グラムも入っているのだ。へたすると百グラム近いぞ。グラム1円くらいだ。そんな葉っぱがどこにある。まあいいか。で、これを水といっしょに食うと半分くらいで腹が膨れるのだ。一日一回食うとして二日持つのだ。二日で八十円だからこれは凄いぞ。なにが栄養だっ。栄養がそんなにいいなら一ヶ月二十万円で契約すればいいじゃないか。金が入ったらだまって喘息の薬を買ってきやがれ。げほっ。げほっ。なんだその反抗的な目は。お前だれのおかげで暮らせてるかわかっとんのか。ぼけなす。ちょっとこっちこい。われ。痛いやあらへんわい。痛うしとんのや。こら。なんやねん。この落書きは。この『豚小屋の豚』て誰のことやねん。きさま。ぶっ殺したろか。泣くなぼけ。泣くなっ」
また鼻血が出てきたようです。自分と父親の区別が付かなくなったせいでしょうか。私は鼻を押さえて仰向けに横になりました。
お花畑はきょとんとして座ったままですが、どうやら、この人間を救えるのは自分以外にいないと考えているようでした。しめしめ、と私は感じていました。私は鼻を押さえたまま立ち上がり、お花畑を通って部屋の出口へ向かいました。いつまでもお花畑の相手などしていられないのです。
4 繁華街まで歩いて行ける
歩いていると、突然目の前に指が現れ、そしてすぐに消えました。
外に出るのは煙草を拾得する為ですが、運が良ければ棒や風船に会うことができます。棒と風船に会いました。
「煙草を拾っていたのだ」「錠剤を買ってきた」「自転車に二人乗りしない?」「皮のやぶれたタムにマイクをつっこんで」「やめようかと思うんだけど」「二条通りをずっと東に行くと」「幼稚園」
話が弾みます。ずっとあとになって風船は海に潜りましたが、この頃はまだ空気が入っていました。また風船は錠剤が大好きでした。そして美しい歌声を持っていました。風船が歌うと空気中の魚が溶けました。棒はのちに資本主義を憎むようになりました。私が資本主義に迎合し始めた時、私を最も軽蔑したのが棒でした。
棒と風船と別れて私は学校へ向かいました。後輩が歩いていたので、いい話を一つして授業料を得ました。学校に入ると見覚えのある箱が現れて、「停学期間は終わっているのかね?」と尋ねてきました。
「はい。もう失効期間は終了しています。仮免にも合格しているのに本試験を受けに行く暇がないのです」私は手に持っていたチラシの束から、一枚を箱に手渡しました。「海外旅行に行かれる時は、このスーツケースを」学校だと思っていたがここは旅券事務所だったのです。隣に立って、同じようにチラシを配っている男が、私を密告した犯人で、身体障害者の妻をもつ煙草屋の男です。彼は妻が堕胎手術をしたことで人生を逆恨みしているのでした。私は彼に遠慮しながらチラシを撒き続けました。しかしそれは嘘で本当は風呂に浸かっていました。
湯気ごしに見えるのはプリン状のデザートで、四色の綺麗な色を使っていました。その次に天ぷらを社長が揚げました。天ぷらの色が悪いので社長を無視してもう一度作り直し、湯船から出て頭を洗い始めました。しかし、いくらシャンプーをつけても全く泡が立ちませんでした。頭を掻きむしったため血が出てきましたが髪の毛には湿気さえありません。血が目に入り視界が赤く染まっても尚、頭をかき回し続けました。その時、がちゃと、戸があき、お花畑が部屋に入って来ました。「この赤い電球、何とかならないのかな」
5 こうして崩壊した
お花畑が食料を抱えて戻ってきました。出ていってたのはお花畑の方だったようです。「栄養を買って来たから、食べて」
「また栄養かっ」私は尚も赤く血だらけの頭を掻きむしりながら立ち上がりました。栄養栄養栄養。栄養のことしか頭にないのか。人生の意味は栄養か。なぜ立ち小便をする幽霊が現れるのか考えたことがないのか。「もう、許せん」
「そうだ。許すな」天井の隅から声が聞こえます。「馬鹿にしているのだ」「やってしまえ」
「殺せ」
「やかましいっ」私はついに天井の隅を見上げて怒鳴りました。「おまえらは関係ない。黙れ」
「誰に言ってるの?」と言うなり、お花畑の花が一斉に散り始めました。大量の花びらが部屋中に舞い上がりました。ほんの一瞬、お花畑が見せた傷ついた表情が、そのまま凝固した大気となりその重みで半透明のアクリル版が天井から剥がれて落下しました。
ばりべりがりごり。
落下したアクリル版は赤い電球を砕いてばらばらにし、埃とネズミの糞と昆虫の死骸を畳に撒き散らしました。
何が起こったのか理解できず、私は呆然と立ちすくみました。今から思い起こせば、いっそアクリル版が頭上に落ちてくれればよかったのです。そうすれば、もう少しましな落ちがついたのではないでしょうか。
アクリル版が抜け落ちた天井の大穴からは、汚いトタン屋根の裏側が見えました。私は落下したアクリル版を片付けることなく、そのままの状態で数日間暮らしました。しかしだんだん腹が立ってきたので、家主のおばはんに言ったのです。「天井が落ちて来たから直してくれませんか」
家主のおばはんは言いました。「だめだめ。あんたのせいだから、あんたが直しなさい」
「汚くて寝てられないんだけど」寝てましたけどね。「勝手に落ちて来たんだから、直してよ」
「うちの子、そのへんにいなかった?」家主のおばはんの目つきが変わりました。線が切れたようです。唸り声をあげ始めました。
私はこのアパートを出ていく決心をしました。そしてすぐ出ていきました。しばらくの間は野宿でしたが、あのアパートのあの部屋よりはましだと思いました。
アパートを出てから私の阿呆は少し直りました。
しばらくのち、家主のおばはんは自分のアパートに放火して新聞に載っていました。全焼したらしい。私が最後に気になったのはあの小さな息子のことでした。